本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

ジョージ・オーウェル著『一九八四年』を読んで

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

 ジョージ・オーウェルは1903年にイギリス植民地であったインドで生まれた。青年期をイギリス本土で過ごし、その後もほとんどヨーロッパで生活している。そして本書が執筆されたのはオーウェルの死の二年前である1948年。この半世紀といえば二度の世界大戦に代表されるように戦争の時代であろう。戦争は破壊と同時に多くの作品を生み出させる契機にもなった。オーウェルも参加したスペイン内戦ではピカソゲルニカが、音楽では無調や12音技法などが挙げられる。
 戦争はイデオロギーの衝突だが、どのイデオロギーも究極的な目標に平和を置いているところが面白い。オーウェルは if の世界で完全なイデオロギー装置を構築し、完全さの中に含まれてしまう矛盾を描いている。そして「戦争は平和なり、自由は隷従なり、無知は力なり」という矛盾こそが完全体の形なのだ。
 完全な人間とはどのような姿を指すのか。動物的な要素を排除した状態が完全なのだろうか。理性が発展したことで世界大戦が起きたのならば、理性を全面的に肯定するのは難しい。戦争に悲観したであろうオーウェルは、人間の理想的な姿の両極を示すことで読者の文明観を揺さぶってくる。

 戦争の世紀とは今は無き大きな物語が顕在化した時代である。オーウェルの創造の多くがこの時代の政治構造にヒントを得ているようだ。この時代に大国は国民を総動員するためにプロパガンダの手法を研究した。特にヒトラーはメディアを操縦することに長け、映像などを効果的に用いた。この映像を通じたイデオロギーの徹底が本書ではテレスクリーンという双方向通信のテレビによって完全化されていた。
 「何の警告もないまま、また自分が監視されていることを知らないまま、監視されている可能性がある」。実際に監視されている訳ではないのに、可能性によって行動が束縛される。これはミシェル・フーコーパノプティコンを想起させる。物理的に全ての人を監視することができないため、各人の内面へ恐怖を植えつけることで反逆を防ぐ。非常に効率的な方法だ。また本書では言語を統制することによって反逆的な思想そのものを生み出せない方法も登場していた。それだけ聞くと恐ろしいシステムだと感じるが、私たちの生活の中にもその萌芽は見つかるのではないか。
 現代は電子機器に囲まれ、将来的にはそれら全てがインターネットへ接続されるだろう。送信された情報はサービスの向上へ利用されるが、同時に情報によって監視することも可能となる。また言語の統制は取られていないがユーザーの行動やコマンドを限定することで似たような効果はあげられる。技術革新と監視社会は表裏一体だ。
 ゴールドスタインの本の箇所で「その製品が人間の自由を縮小する為に用いられることが可能な場合にのみ、実行に移される」とある。インターネットやお掃除ロボットなどが軍事戦略のために開発された技術であることも含めて、この一文はフィクションの領域には留まらないだろう。

 本書では権力は権力であることをアイデンティティーとして存在するとされていた。
 権力や洗脳というテーマはナチス大日本帝国と密接に結びついている。だがその末裔である日本人はこの歴史を理解できていない。元西ドイツ首相のヘルムト・シュミットも日本人の歴史への無関心を批判している。おそらく本書の権力の構造分析はその理解の助けになるだろう。
 ゴールドスタインの論理を要約すれば、富と権力は異なるものだが富の平等化は権力を揺るがす。なので財を分配しないシステムが求められ、継続的な戦争を行うようになる。「戦争の目的は、領土の征服やその阻止ではなく、社会構造をそっくりそのまま保つことにある」とある。社会構造は「現状を維持する」上層と「上層と入れ替わる」中間層と「万人が平等である社会を作り出す」下層に分解されている。そして日本の歴史にも革命思想が弱いなりにこの意識がある。下層の人々が富をもてば平等な社会が実現されうる。
 つまり権力を脅かすものは技術の進歩による平等なのだ。ゴールドスタインが経済の問題として取り上げたのはマルクス主義の模倣だろうが、技術の進歩は生産性の向上にのみ寄与するものではない。通信技術が発達すれば大衆は意志の疎通がスムーズになり、権力とは別の動きをする可能性は高まる。都合良くコントロールするためにはバカでいてもらわなくてはならない。今の日本の教育がこれに当てはまらないと言えるだろうか。
 技術による平等というとベーシックインカムが話題だ。ベーシックインカムとは「政府が国民に最低限の生活を送るのに必要とされているお金を支給する構想」である。人工知能やロボット技術の発達により人間が労働しなくとも富が生み出される状況になれば、こうした生活保障が可能となる。働かなくとも最低限の生活は保障されるので、よりお金が欲しい人だけが働くようになるだろう。単純作業などの機械的な仕事はロボットに代替され労働から解放されるのだ。
 だがそのような最低保障を導入すれば人は堕落してしまうという意見もある。いずれにせよベーシックインカムを検討できる段階になったという事実は私たちの労働観を大きく変えるだろう。

 本書の描写は私たちに帝国主義時代を否応なく連想させる。トマス・ピンチョンは解説で「伝えられることが真実でないと知りながら、それが真実であってほしいとも思っている」。戦時中の映画によって自国の勝勢が伝えられた時全面的に否定することは難しい。このように権力は巧みに大衆の心の中へと入り込んでくる。権力はメディアをコントロールすることで大衆を動かす。メディアで溢れている現代、より権力に鋭敏になる必要がある。これからますますメディアを巡っての折衝は激しくなるだろう。