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本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

S・W・ホーキング著『ホーキング宇宙を語る』を読んで

 

ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで (ハヤカワ文庫NF)

ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで (ハヤカワ文庫NF)

 

 

 ホーキング博士は現在74歳。数々の業績を残し、存命の科学者では最も有名なのではないか。しかし彼は未だにノーベル賞を受賞しておらず、今後も受賞する見込みは薄いという。理由は彼の専門分野が主に原始宇宙やブラックホールに関するものであり、現代の科学ではそれらを測定する術がないからだ。理論としての整合性があっても実証されなければノーベル賞は与えられない。先進的な業績を讃えるノーベル賞も、先進的すぎる業績には窮してしまうのだ。
 だが本書のような形で一般の人たちに自身の研究やその下地を紹介することで、博士の才能は万人に認められている。賞に頼らなくとも名声があるという、科学分野では珍しくも素晴らしい状態が生まれているのだ。このように実質的な判断によって評価が構築されれば、私たちも科学の発展や健全な組織運営などに寄与することができそうだ。

 本書の内容はポピュラーサイエンスの中では難しいほうに入るだろう。説明するもの自体が難しいことは当然だが、一般向けにしては少し説明が細かい。博士自身が研究者なので誤解を招かないように慎重に言葉を選んでいるからなのだろう。専門家からすれば誤解は嫌悪される。それは研究者気質とも言えるだろうか。それに対して通俗科学では分かりやすさや面白さが優先され多少の曖昧さは看過される。本書の内容もジャーナリストが書けばもう少し砕けた表現になりそうだ。
 本書は1000万部以上売れたようだが、内容からするとそれ程に売れるとは思えない。万人受けするには難しい内容だ。一体どれほどの人が本書を理解できたのだろうか。理解した上で他人に勧めたのだろうか。おそらく、売れた要因のかなりが博士の身体状況への好奇心にあるのではないか。

 理論上は全宇宙の正のエネルギーと負のエネルギーは同量であるらしい。無から互いが生まれ、衝突して無に戻る。ホーキング博士は物質は正のエネルギー、重力は負のエネルギーと説明している。「近くにある二つの物質は、遠く離れている二つの物質よりも小さいエネルギーしかもたない。重力に対抗して近くにある物質を引き離すために、それだけ多くのエネルギーを与えなければならないからである」。これは中学で習う力学的エネルギー保存の法則が拡張されたような表現だ。古典力学では位置エネルギーを地面からの高さと捉えていた。それがニュートン万有引力によって意味合いが変化し、アインシュタインによって存在そのものがエネルギーであるという認識へ拡張された。
 さて、エネルギーが保存されていることはいいが、宇宙全体のエネルギーの総量はどうだったか。正のエネルギーと負のエネルギーは同量なので、全体としてはゼロだ。つまり保存されているエネルギーはそもそもがゼロであり、物理学の理論は全てそのゼロに関するものだと言える。だが誰も「どうせゼロだからどうでもいいじゃん」とはならない。変な生き物である。
 その後の段落で「ゼロは二倍してもゼロである」と書かれている。ここでふとオイラーの公式を思い出した。オイラーの公式は表記にもよるがイコールの片側にゼロがくる。とても美しい公式だ。ネイピア数と虚数と円周率と1が組み合わされた結果ゼロになる。むしろゼロの中にそれらの要素が見出されたとも思える。またこの公式のゼロと1−1=0のゼロでは意味合いが全く異なる。そしてどんな数式も移項を行うことでゼロを作ることができる。物理学や数学においてはゼロをこねくりまわして新しい発見をしているのだ。宇宙科学も同様である。科学はゼロの中に要素を見出す学問とも、結果をゼロにする学問とも言えるだろう。

 ホーキング博士は宇宙科学を人間原理との戦いと捉えているようだ。この宇宙はどのような可能性の中から選びとられ、今のような状態になったのか。その可能性を事後的に網羅することは難しい。我々には選びとられてしまった選択肢しか見えないからだ。宇宙科学はその見えない選択肢と選択肢群の構造を解き明かそうとしている。構造の仮説はもはや概念操作に近い。人間が本来持っている知覚の領域を逸脱した形で仮説が論証されているのだ。ホーキング博士の提唱した「時間と空間は有限だが境界がない」という仮説もイメージが非常に難しい。
 そして、全ての説の最終的な判断材料がある。人類が存在することである。人類が誕生し得ない仮説は宇宙の構造としては不完全である。我思うゆえに我ありだ。そんな最強の証拠を背景に、強い人間原理は「そういうぐあいになっていなかったら、われわれはここに居合わせていないだろうからだ」という結論を持ち出す。確かにその通りだがこれは諦めに近い。神が作ったからという答えと同じだ。強烈な納得感の代わりに、なぜ宇宙がこのようなのかという問いに答えていない。
 これに対抗するのが科学ならば、科学は哲学ととても似ている。アリストテレスの時代では科学と哲学は同じ分野だった。本書の記述にあるように専門性が増したせいで知識の分裂が起こったにすぎない。そして宇宙科学が長きにわたり神と戦ってきたことも同様である。スピノザガリレオも宗教から妨害や迫害を受けてきた。現在埋もれている学説も私たちの盲目性と固定観念によって押さえつけられているに過ぎない可能性はある。

 宇宙科学に近い素粒子論の分野では日本の有名な科学者は多い。本書でも何度か登場した「くりこみ理論」も朝永振一郎が発見した手法だ。朝永は1965年にノーベル物理学賞を受賞している研究者だ。
 そんなことも知らずに生きていける。現代は知識の増大によって知らない分野が大量にある。逆に、知らない分野を知ることで想像力が掻き立てられるのも現代人の恩恵だろうか。