読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

東浩紀+大山顕著『ショッピングモールから考える』を読んで

 

 

 本書の感想はひとえに「楽しかった」に尽きる。しかもこの楽しさは読み終えてからも止むことのない楽しさだ。寝る前に読む本ではなかったと後悔している。

 本書の見解ではショッピングモールは「人間にとって最適な環境をどう作るか」という課題への実験場だ。この実験場は国や宗教にも影響されない。そのため本来とは無関係な観点で切り取られ集められた要素たちがカオスを作る場ともなっている。そして課題への格闘として生まれた奇妙さを著者たちは誤読していく。この誤読がことごとく面白い。
 人が空へ羽ばたこうとしていた時代の実験映像を見て現代人は笑うことができる。笑うのはライト兄弟以外の研究者だ。理由は彼らが本気なのと、それが間違えた方法だとわかっているからだ。しかし当時彼らをライト兄弟と区別して笑った人はいなかっただろう。嘲笑するなら飛ぶこと自体であったはずだ。目的に向けて様々なアプローチがあったからこそ、現代の航空技術があると考えられる。飛躍なくして進歩はない。踏み外すことが創造力だ。NO EVIDENCEな議論をなおざりにしてしまう私達だからこそ、本書の誤読を真面目に笑う必要がありそうだ。

 私は上京組だ。だから東京という都市は電車で移動する空間として認知されている。電車での移動はエレベーターと同じだ。目的地を設定し電車に乗り、降りるともう着いている。その間の動線は意識されることがなく、駅どうしの間隔も曖昧。電車で移動する人間には路線図のような模式図がインプットされていれば良い。東京は駅と路線の集合体として認知されていた。
 だが一度駅から駅へ歩いてみるとちょっとしたショックを受ける。分裂したワールドたちが陸続きであったという発見。それは東京駅のオフィス街を歩いてゆくと秋葉原に着くという当たり前のことである。これほど地理に無知な人間でも生活できる都市なのだ。本書の例えを借りればそれは鉄道というシステムをストリート型に認識していたことになる。各駅はアトラクションとして作用し、路線はそれをつなぐチューブとなっている。路線ごとに文化圏が形成されているというのを聞いたことがあるが、東京の鉄道はまさにストリートだ。本書で地下鉄がピックアップされていた理由に、地下鉄は自分の位置がわからない点があると思う。しかし地図よりも路線図を見る人にとっては、地上の鉄道も十分にストリートとして認識されうる。
 だとすればゴッフマンの儀礼的無関心もストリートの作法ということになる。東京もしくは成熟した都市がマナーを求める作用もここにあるのだろうか。

 建築はしばらくその形態や空間性、素材などが論点とされてきた。だがモールによって思い出されるように、建築とは環境を構成する仕事だ。日本建築で多用される文句に「夏涼しく冬暖かい」とある。当初から建築は気温という目に見えない要素をコントロールする装置なのだ。
 この視点で思い出されるのがフォスター+パートナーズの建築だ。ノーマン・フォスターはバックミンスター・フラーの思想に影響されている。フラーといえば「宇宙船地球号」が有名だ。フラーの思想には常に領域の内側と外側があり、主に内側に関して述べているように思う。宇宙船地球号が地球という領域を設定し、その内部での振る舞いについて論述していることが好例だ。フラーが他に考案したものにジオデシックドームがある。これは端的にフォスターの建築につながっている。このドームは外部と内部を隔離する膜だ。この膜によって内部の環境を統一的に管理することで建築に新たな自由が与えられた。それまでの建築は採光や素材、強度、形態そして気温管理など複数の事案を一度に解決する装置として存在したが、気温管理と対雨の機能ををさらに外部にある膜へ譲渡することで考慮しなくてもよくなった。そういえば、ユートピアはオアシスや水のイメージではあるが雨は降っていない。世界共通で降る水は嫌だが湧く水は好きなのだろうか。
 膜の存在はそのままモールにも当てはまる。本書でもコクーンという表現が使われていたが、モールの中は膜の内側だ。膜の外側の建築の文脈と内側の建築の文脈は機能の点で大きく異なる。外はその土地の気候に合わせなければいけないが、内では普遍的なモール性気候に合わせればいいのだ。これを突き詰めて行けば、モールの土着建築が誕生する。モール建築では外の建築で使われていた文脈は無意味化するので、日本風などの建築は単に文化を示すアイコンとなる。つまりパロディとなってしまう。モール建築の視点から、ヴィーナスフォートなどが現実の西洋建築を模倣していることの面白さが深まりそうにも感じる。
 そしてフォスター+パートナーズの建築は宇宙へと進出しようとしている。奇遇にも本書ではスペースコロニーが触れられていた。モールは宇宙進出への実験場でもあるわけだ。
 スペースコロニーと地球を見比べると、表と裏が逆になっている。それに従ってバックヤードも屋上から床下へと移行するのだろう。トポロジーでは球を裏返せることが有名なスティーブン・スメイルによって証明されたが、実際の方法は後に発見され難解である。ショッピングモールからいかにして宇宙船モール号を生み出すのか。その方法を夢想するのも面白い。
 膜、内部と外部の逆転という観点では『生物と無生物のあいだ』でも取り上げられていた細胞膜の構造などが新しいアイデアをもたらしてくれそうでもある。

 これらの戯言が後に笑ってもらえるだろうか。笑ってもらうにはまだまだ未熟な文章だと自覚してはいる。NO EVIDECEな話をするにはもっと訓練が必要なのだろう。