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本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

ミヒャエル・エンデ著『モモ』を読んで

小説

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

 資本主義などの近代以降のシステムと人間の幸福との間には大きな溝がある。そんなエンデの疑問を本書はとてもブラックに、かつ夢のある形でわかりやすく物語っている。私たちは「なぜ」を問わずに受け入れることがあまりに多い。本書にも登場する「時は金なり」という言葉が何の疑問もなく大人の社会には蔓延している。だが「時」とは何か「金」とは何かと問うたことが各人にあっただろうか。「時は金なり」は「時=金」だ。この数式に幸福という概念は登場しない。本書は「時=金」という公式と人間の幸福追求という異なったものがなぜ存在するのかを、子供の視点で社会に対して投げかけている。児童文学ではあるが、取り上げられているのは大人の問題なのだ。

 資本主義もしくは経済は全ての事物を金に換算する。時間に関して言えば時間価値というものがある。10分早く目的地に着くのにあなたならいくら払いますかという質問に答えることで、自分の時間の価値がわかるというものだ。おそらくほとんどの人がこう答えるだろう。「時と場合による」と。本書でも、その時間にどんなことがあったかによって感じ方は変化し、時間は心で感じ時計はそれを不完全にかたどったものだとされている。時計や金によって計量される時間は本物の時間ではないのだ。だがなぜ我々は不完全な方の計量された時間に合わせてしまうのだろうか。時間の代替物である金で考えてみる。
 幸福と金を橋渡しするものとして「便利」がある。ある行為が以前より早く効率的にできる場合、それは便利である。近代は便利が加速した時代とも言える。すべての行為が便利なシステムによって高速で済ませられれば、自分のために使う時間が増える。これがそもそものきっかけであったはずだが、いつの間にか便利が目的になり、何のために便利にするのかを忘れてしまったのだ。これは灰色の男の存在を忘れてしまうことに符合する。
 目的となった便利は比較することができる。それは時に機械のスペックとして表記され、ブログやレビューの評価としても現れる。スペックとはまさに時間的な効率性だ。そして時間は金と換算される。幸福と金の最大の差は目で見えるかどうかだ。幸福は比較できないが、金は増える過程を見ることができる。金はわかりやすいのだ。そして金と同様に時間もわかりやすい。わかりやすいからこそ計量可能な時間は力をもつ。

 わかりやすさと本来の目的の隠蔽という点では、時計がそれを体現している。時計の素は日時計だ。古代では地面に立てられた棒の影を見て大体どのくらいの時間かを見ていた。そこでは周りの生活がメインであり、時計は指標の一つに過ぎなかった。砂時計や振り子時計も同様である。だがのちにゼンマイ式の時計が誕生すると時計の地位は一気に向上する。
 ゼンマイ式の最大の差は動力が環境と切り離された点にある。これによって時間は独自の空間を得た。1675年にグリニッジ天文台が設立され、時計は航海術と二人三脚で発達する。イギリスが世界の覇権を握っていた時代、商人はグリニッジ天文台へ行き、自分の時計を合わせた。これにより異なる時計が世界中で同じ時刻を指すという珍しい現象が起こったのだ。そしてあたかも時間という普遍的なものが存在するかのように錯覚させられた人間は、時間を基盤として現代に至る文明を構築した。同時に時計は文字盤をつけその内部構造を秘匿し、自分の絶対性を信じ込ませようとしている。デジタルの電波時計となるといよいよ物理空間と隔絶する。人類の進歩は時間概念の強化と共にあるのだ。人間が作った時間の神クロノスに、現代の人間は服従しているのである。

 こうした由来の忘却は現代では随所に見られる。モモはその根源にある理由を倒錯しなかったからこそ灰色の男達に対抗できた。カントの定言命法では「あなたの人格およびあらゆる他の者の人格における人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段として扱うことのないように行為せよ」とある。目的と手段は絡み合って似たような形態をとる。手段が目的となった瞬間にその人間性は道徳的でなくなるのだ。
 SNSではアクティブユーザー数が流行の指標とされる。ある一定期間内にそのサービスを利用した人数がカウントされる数値だ。SNSはネット空間で他人と交流をする為の場であるが、運営側からすればいかにしてアクセスさせるかが問題になっているわけだ。だからこそユーザーに利用を喚起させとりあえずアクセスさせる。もちろんそんなストレートに伝えないので、喚起は多様な形態をもつ。ここでも本来の目的の隠蔽が行われているのだ。アクセスする為にアクセスする。この自己目的化が私たちの生活に及ばないよう注意したい。

 マイスター・ホラは針もなく数字もない時計を身につけていた。ホラは「星の時間を表す時計だ」「宇宙の運行にはある特別な瞬間というものが時々あるのだ」「だがざんねんながら人間は大抵その瞬間を利用することを知らない」とモモに説明している。人類が宇宙へ進出した暁には太陽系をグリニッジ標準時が覆うのだろうか。そして銀河系もグリニッジ標準時となるのだろうか。もしそうなれば我々が生み出したクロノスは最強の神である。