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本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

魚川祐司著『だから仏教は面白い!』を読んで

思想哲学

 

 

講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)

講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)

 

 

 本書で特に良いと感じた部分が二つある。
 ひとつは本書のテーマがゴータマ・ブッダ仏教である点だ。それは現在小乗仏教と呼ばれる。日本は長らくもうひとつの大きな宗派である大乗仏教に親しんできたため、ブッダの思想について実はあまり詳しく知らない。本書は解説の重心を小乗仏教に置くことで、普段日本人が思い描いている仏教のイメージを相対化している。
 二つ目は宮崎哲弥さんの解説である。今は解説書や入門書というのがどんな分野にも大量に存在する。むしろどの入門書を選ぶかで迷ってしまう始末だ。「難しい」ことと「やさしい」こと。非常に難しいさじ加減を求められる入門書にあって、何がよい入門書なのかという方針を示してくれている。思わず手を叩いてしまいそうになる、そんな解説だ。

 インドの死生観の根本には輪廻がある。そしてこの輪廻の上に成り立っているのが仏教だ。ブッダの言説は輪廻を前提としているため、中国人や日本人には素直に受け入れがたい。よって大乗仏教では経典の内容を抜粋歪曲したりして耳障りのよい思想に変換しているのだと著者は言う。
 輪廻思想の源流をたどるとバラモン教聖典である「ヴェーダ」が出てくる。「ヴェーダ」は4部にわかれ、なかでもウパニシャッドインド哲学のもととなった。ブッダの説法が理論展開のようになっている原因の一端がウパニシャッド哲学である可能性は高い。またブッダが自説経(ウダーナ)で「地水火風」という要素分解をしていることも、バラモン教の自然崇拝に類似している。仏教の前提にはバラモン教の影があるのだ。そしてバラモン教からさらに遡ればインダス文明にまで到達する。仏教の成立する因果を紐解いていくと四大文明にまでたどり着けるのだ。
 仏教ヒンドゥー教は共にバラモン教の腐敗から誕生した宗教である。また、テーラワーダ仏教大乗仏教の関係は同人誌的だと本書の中で表現されていた。この視点を拡張すれば、仏教バラモン教の二次創作となる。このまま拡張をしていくと、世界には四大文明を起源とする大きな同人誌宗教が存在することになるのだ。ひとつの宗教を学ぼうとしただけで、これほど多くの宗教が相対化される。インドから東洋の思想を学ぶ橋頭堡としても、仏教は面白い。
 輪廻と同じく本書で大きなウエイトを占めていたのがおっぱいである。本書のなかでおっぱいは「欲望の対象を楽しみ、欲望の対象にふけり、欲望の対象を喜ぶ」ことの比喩とされていた。この一文を見て真っ先に思い浮かぶのが消費社会ではないだろうか。経済のシステムは「より多くを稼ぎ、より多くを消費する」サイクルを行うのが消費者だと定義している。このようなシステム的なまとめられ方は気に入らないという人もいるだろうが、事実人間はそのようであるから仕方ない。誰だってボーナスを貰えば多少は使ってしまう。政治では市民や国民とされる人々が、経済学ではそのような「消費者」だとされているのだ。
 以上をまとめると「人間(現代人)=おっぱい」となってしまう。これを否定できないところに資本主義の弱点があるのだろう。紀元前を生きていたブッダの言葉がチクリときてしまうのは、どこかに罪悪感のようなものがあるからだ。
 仏教では煩悩を滅していない者を凡夫と呼ぶらしい。著者は括弧でパンピー一般ピープル)と注釈を入れていたが、一般人は相対化されて初めて一般人になる。一般とは特殊に対面して初めて一般たりうるからだ。つまり一般人は自分が一般人であることを知らないまま生きている。そこで知らない分野へ入門していくことは、いかに自分がパンピーであるかを自覚する契機になる。学ぶとは相対化の連続なのかもしれない。
 その上で魚川さんの文章を読むと、これが一部の見解であると何度も注釈をいれることの重要性が理解できる気がする。

 最後に余談だが、本書でブッダの思想を知ったことである小説の見方が一つ増えた。伊藤計画の「ハーモニー」である。
 人間の「意志」というものが果たして何であるのか。それは人間にとって有益なのか有害なのか。それを超越した先に何が待っているのか。この小説がブッダの思想に見えてしょうがない。