読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

ジェイムズ・P・ホーガン著『星を継ぐもの』を読んで

 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 

 鏡明さんのあとがきにもあったように、この物語はSFとしか言いようがない。ストーリーの中心には常に科学があり、調査や会議によって話が進行する。理論や根拠をもとに結論を推測する科学的方法とサスペンスの形式が見事に融合している名作だ。

 SFというと未来の世界やガジェットなどが注目される。特に最近は過去のSF小説などがCG技術によって映像化されることが多いため、作り手側も意識的に誘導しているように思う。つまりはエンタメ要素としてガジェットなどに目を向けさせることの効用が大きいのだ。目新しいビジュアルは端的に観客を惹きつける。よってSF映画では特にガジェットが押し出されることになる。スターウォーズならライトセーバーにあたるだろう。この設けられた入り口がそのままSFの代名詞となってしまい、のちに続くSFの前提となってしまう。
 SF小説の低評価レビューの常套句に「期待はずれ」があるのもそれが原因ではないだろうか。その読者は読む前に期待をしている。小説が外的にプロモーションできる要素は装丁とあらすじだけなので、普通に考えればそれほど的外れな期待はされないはずだ。おそらく、逸れてしまう程の期待をもたらしたのはエンタメ的なSFの存在だろう。実際に何を期待して読んだのかは不明だが、SFというジャンルがもつ印象のほとんどが視覚からもたらされていることは確かだ。
 当たり前だが、同じものを違うメディアで表現することは非常に難しい。本では主観的に時代背景などを書き連ねてしまえるが、映像で同じ内容をモノローグで喋られたらさぞ退屈だろう。逆に言えば、全ての表現物はメディアを選択された上で表現されている。もし商業上の理由で他のメディアへ移植されることがあれば、移植先のメディア特性に合致した表現に変換されることになる。そこで初めてビジュアル先行型のSFが誕生する。しかし映像のもつ力は強い。メディアミックスの手法によって多角的に表現されようとも、鑑賞者の心象は多くが映像によってもたらされたもので構成される。結果的に、ビジュアルがジャンルを作るのである。そしてジャンルに対して持つ印象は理解の足掛かりにはなるが、場合によっては足枷にもなるのだろう。
 だからこそ今の時代にSF小説を読むことには、懐古趣味以上の価値がある。世界がわかりやすいエンタメで満たされている今、そうではない楽しみの代表格として古典SF小説が存在するように思う。
 本作はSF小説のなかでも「過去」についての物語という点で珍しい。多くのSF小説は、今までの歴史を未来に適用することで物語を構成している。未来では技術発展によって事件などが起きる。その出来事の素には歴史が参照されている。ハインラインなどはそれが顕著だ。歴史を材料に使って未来を描くというのがSF小説の本懐といっても間違いではないだろう。そんななかにあって、本作は逆を行く。木星まで有人探査している点では未来だが、大きなテーマは過去にある。
 本作のサイエンスは考古学的に展開される。幾つかの証拠がフィクションとして歴史に挿入され、それとの整合性を求めて主人公たちは奔走する。現在についての理論であれば実験によって確認することができるが、過去については確認することはできない。よってここでのポイントは無矛盾性と妥当性である。科学的に測定された数値と矛盾せず、構築されている理論の範疇にある仮説を樹立することがここでの最終目標だ。これは言い換えれば解釈の問題である。数値や理論がどれほど集まっても、その因果関係をどう解釈するかによって、もたらされるものが変化するのだ。これが科学の面白い部分でもあり、最も難しい部分でもあるのだろう。
 作中ではあらゆる可能性を排除しない形で仮説の樹立がなされる。常に狭量な思考にならないことの重要性が訴えられている。だが物語の終盤でその主人公ですら「人間は地球で進化してきた」という観念に囚われていたことが露呈する。可能性を排除しないことの難しさを示すとともに、複数人で物事を考えることの重要性も説いている気がする。人間は観念によって可能性を無意識に排除してしまう。だからこそ意識的にそれを行わないようにしなくてはならない。この主人公の姿勢こそ、「期待はずれ」と思ってしまった人たちに響いて欲しい。
 ポール・ゴーギャンの絵画に「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がある。フランスからタヒチへ渡ったゴーギャンは住民の素朴な生活を見てこの言葉を想起したのだろう。原始的な生活の向こうに、人類の起源を想像したのではないか。考古学は過去を知るためだけにあるのではない。過去を見つめることは現在を知り未来を見つめることに通じている。その点では構想として「2001年宇宙の旅」に本作は似ている気がする。
 自分たちの文明は確固たる足場を持っているように見えて、実はとても脆い根拠によって支えられている。もしそれを突きつけられた時、素直に受け入れられるだろうか。