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本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

山田宗樹著『百年法』を読んで

  

 

百年法 上

百年法 上

 

 

百年法 下
 

 

 

 永遠の命に関する議論はいつの時代も行われてきた。不老不死は人類の最大のテーマといってもいいのではないか。そしてこれに執着するあまり、判断を誤る。
 不老不死のアイテムは様々な物語の目的物として登場する。人間たちはそのアイテムを手に入れるため、私財を投げ打ってでも手に入れようとする。これは滑稽噺としての面もあるだろうが、笑ってばかりもいられない。仏教では人は生・老・病・死の4つの苦を持つと説く。この4つの苦をもつことが生きることそのものであると教えてくれるが、人類は科学でこの苦を少しづつうやむやにしてきた。この少しの成果が万能感を与えてしまう。そして人の持つ万能感は、容易に不老不死へ辿り着いてしまうのだろう。
 不老不死はできなくとも、科学の進歩などによって近い未来ではかなりの長寿命になっているかもしれない。本書はそれの極端な場合を描いている。そして逆に現在の超高齢化社会は、そこへの過渡期とも見ることができるのだ。だからこそこのSFは確かに日本の未来を描いているという怖さがある。技術が進歩しようとも人の本質はなかなか変化しない。ある意味、その愚かさであったりが変化しないからこそ未来の話にも没入することができる点は皮肉だろうか。
 本書の描写でも、人々の愚かさがストーリーを動かしていた。人はどれほど利己的で判断を誤るのか、それは誰しもの心に刺さる筈だ。また、その愚かな人類が政治を行う。本書の出版は2012年だ。この年は3年前に誕生した民主党政権が崩壊し、現政権が始まった年である。そのような政治状況がおそらく本書の基盤となっている。
 55年体制が崩壊した細川内閣以来の政権交代が、2009年の衆院選で起こった。その時の選挙はもはや祭りのようだったと覚えている。野党であった民主党の実現性に乏しいマニフェストに文句は言わず、滅多に起きない政権交代の高揚感が市民を動かしていたように思う。そして3年後には期待はなくなり、祭りに飽きた世論によって民主党政権が終わりを迎えた。その責任は政権だけでなくメディアにもあると思うが、メディアは政権のせいにする報道しかしなかった。
 この政権交代というメディアイベントによって容易に人が誤ることが露呈した。残念な現実が突きつけられたのだ。この状況からどう改善すればいいのかを著者なりに考えた結論が、本書の終盤で描かれていた。時限的な独裁というのもそうだが、それは当時の弱い政権があってのことだと思う。今それを主張すればかなり叩かれそうだ。
 時限的という制約を設けることによって民主的な国家と独裁を両立させるというのが著者の執筆時点での答えであった。本書ではその後については全く触れられていないが、勝手に想像してしまおう。
 独裁とは究極の中央集権だが、これはどこまでうまく働くだろうか。国家組織の難点は全体が見通せない点にある。これは社会主義が失敗した原因でもある。一人の人間が全体を把握できないまま指示を出すのであるから、齟齬が生じるのは当然だ。そこでトップに立つ者は裁量を分散させることになる。大きな問題や方針の決定を自ら行い、小さな問題については別の者に一任する。そしてこの責任委託の構造が末端にまで伸びることになるのだ。この末端に近い部分については中央の人間は関知しない。こうした部分から関係性は硬直し、癒着が始まるだろう。そしてこの癒着構造は、独裁の時限的な終了をもってしても改善されない可能性が高い。おそらく便利であるという理由から今までの関係を継続する者たちが多いだろう。かつて財閥が解体されたにも関わらず、現在も同じ系譜のコンツェルンが台頭しているように。
 もちろんこれも人間の愚かさから来る現象だろう。いつの時代にもある人間の癖だ。本書は、人間はその癖を歴史から学び改善できるはずだと訴えている。それに応えることができれば、本書の突飛な主張も選択の視野に入ってくるだろう。
 本書に出てくる大統領官邸パレス・フジは富士山の麓にある設定だ。富士山は「尽不山」や「不死山」とも書かれ、不老不死とも縁が深い。竹取物語では富士山の頂上で不老不死の薬を燃やしたというシーンがある。富士山という地を使うにあたってもそれだけの意味がこめられているのだろう。
 ストーリーの面白さもさることながら、そういった多くの知識が本作を支えている。またその知識を読み解くためには自分が学ばなければいけない。これは古典を読む時の心構えと似ている。つまり本書はそれだけの名作だと思う。
 まだまだ深読みする必要がありそうだ。
 なるほど、やっていやがる。