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本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

上橋菜穂子著『獣の奏者』Ⅰ闘蛇編 Ⅱ王獣編を読んで

 

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

 

 

 

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

 

 

 上橋さんは文化人類学が専門ということもあって、作品に民族的な空気感が漂っている。本作に限らず、「衣食住」への記述が微妙な違和感を持って現れるのもそのせいだろう。原因は民族ごとに生活に用いる素材が異なるからだ。素材は文化の基礎を形作り、文化はアイデンティティとなる。その意味では現代人の生活の均質さは、民族というものを忘れさせる靄になっているのかもしれない。先人たちは実に豊かな生活をしていた。自分も子供の頃は川で遊び泥にまみれていたことを思い出すと、今のこのノイズの少なさがいかに異常な環境か考えさせられる。原始的であることは、低俗であることではない。豊かさとは、高度な文化のみによって生み出されるものでもない。子供の頃の方がそのことを理解していた可能性はある。目に見える世界の外を探求し、見える範囲を必死に理解しようとする。同じように、本作には隣の国ほどまでしか世界は言及されない。狭い認識の中で、外部に対する畏敬の念が感じられる。子供の世界認識と似ているのだ。そんな要因から上橋さんの作品は児童向けという注釈がつけられるのかもしれない。
 本作では「掟」というものが登場する。いかにも民族っぽい響きだ。掟とはルールのことだが、ルールがあるところには必ずその原因となった事件がある。この物語ではそれが効果的に使用されていた。
 この作品の「掟」のあり方と似ている存在が日本にある。憲法9条だ。上橋さんが意図したかは不明だが、勝手に深読みしたい。本作では王獣規範は王獣を決して繁殖させないためにあった。武器として利用した災厄を避けるためである。ここで重要に思えるのは、人々がそれまで王獣を武器として認識していなかった点だ。それまでは単なる儀礼の品だったものが武器として使えるとわかった時、社会のパワーバランスは変化する。そしてそれを様々な意味で危惧したりする人々もいる。これをただのフィクションだと切り捨てるには、やや説得力がありすぎる。現実の問題でも、記述できる効用だけを問題にするのではなく、それが持つ心理的側面も鑑みなければならないと実感させられる節だ。「掟」は過ちを犯した先祖が今の私たちの平和を願って作った足かせである。未来へ伝えるか、改変するか。その場合の未来の人たちはどんな暮らしをするのだろうか。このような想像力を働かせることは決して無駄ではないと思う。そしてあわよくば、平和の思想を外へと発信していければ幸運である。
 原始的な世界では、この世界よりも物事の構造は簡略である。本作も比較的簡略な因果によって成り立っている。その中でさえ複数の人物の利害が絡み合い、問題がこれほどまでに複雑化しているのだ。3人から社会が生まれるとよく言うが、70億人もいたら大変なことだと理解出来る。原始的であることは物事の本質が見えやすいということだ。この本は様々な要素において世界の原始版が出てくる。多くの示唆を深読みし誤読することが、読者の使命だろう。それに耐えうる強度を持った物語であると思う。