本の感想

評論ではなく、「思ったこと」を書きます

藻谷浩介 NHK広島取材班著『里山資本主義』を読んで

 

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

 

 

 久しぶりに、タイトルで大損してる本を読んだなと思った。
 聞いただけで興味が失せてしまいそうな『里山資本主義』という題名。さらに副題が『日本経済は「安心の原理」で動く』である。この二連続のダサい言葉が手に取るのを阻んでいた原因だ。このような言葉の裏には盲目的な自己肯定の意識が存在することが多い。我が国日本というものを改めて評価し、それによって得た自己肯定感を個人へとフィードバックしようという思想である。この思想自体は何ら問題は含んでいない。だが、こういったプロセスでは自らのアイデンティティを確認する際に負の要素を省いてしまいがちだ。もちろん負の要素ばかり取りあげれば自己肯定感という目的そのものへと誘導できないのだから当然ではある。本は出版社が利益を得るために刷っている。私も体に良くまずいお菓子よりは、肥満になる可能性のあるチョコのほうを選ぶだろう。乱暴に言ってしまえば、ダサいものは売れるのだからしょうがない。
 そんな大衆の市場に向けて発表されたであろう本書も、ダサい装丁で送り出された。だからこそ、その中身の体に良いことに驚くことにもなったとも言える。
 本書で取り上げられていたのは、経済学の外側である。経済の外側といえば「外部経済」「外部不経済」という言葉を高校で習ったことなどを思い出す。市場の外側の動向によって市場も影響を受けること。今思えば、何を当たり前のことをわざわざ定義してるんだと吹き出してしまいそうではあるが、その先にある巨大な存在が今の世界を動かしているのだ。
 私は経済学が、主要な学問の中で最も発達していない学問だと思っている。それは経済というものが一過性であり、事後的にしか分析できないことが原因だ。人間は往々にして複雑な現象を端的に説明できることに価値を見出し、数学的記号操作を重要なものとみなす傾向がある。そして経済学もこのバイアスに取り憑かれてきた。カーネマンのプロスペクト理論が示す結論を、長きにわたり発見できなかったことも良い例だ。強引にまとめると、「人間は正しい選択をするとはかぎらない」ということになるだろう。このような認知バイアスを経済学は放置して理論形成を行ってきた側面がある。
 勿論、だからといって経済学を軽視するわけではない。私も経済に関してはいっぱしの青二才だ。経済学という巨大な存在を前にひれ伏している。周りの人たちも同様であると思う。だからこそ、経済の外側に重要性を説く本書は有益だった。
 都会で暮らし、より多くの賃金を稼ぐことに意義を見いだせていない人が現代では多くいると思う。こうした人たちの前に存在する壁が、今までの経済学やそれに伴って発達してきた社会風紀である。また高賃金に対する無条件の賞賛が退路を塞いできた。社会的成功かさもなくば、と窮屈な価値観が社会を席巻していたのだ。
 まさにこのような状況こそが、「情報の非対称性」である。経済学ではこれによって様々な問題が生じるとされているが、当の経済がこれを有している状況は皮肉なのだろうか。価値を決定するためのモノサシが「お金」だけではないのに、それに気づかずにいたとはあまりにも非対称だ。我々は価値の基準を個々で設定する筈が、それすらも経済に大きく寄りかかっていた。これから脱する方法は、より多くのオプションを持つことなのだろう。そのオプションは思想かもしれないし、ある人にとっては経済学かもしれない。我々は日々情報を収集することによって、情報の非対称性を是正するように努め続けなくてはならないと思わされた一冊だった。